立ち止まる時があるから、また動ける

夏風邪をきっかけに、なんだかすっかり空っぽで、何にもしない日々を過ごしていました。
何もしないというと語弊があるかもしれません。

久しぶりに瞑想を始めました。
理由は、そんな気分になったからです。

私にとって瞑想は、料理や掃除などの最中をさします。
無心になって手先を動かすという、動作そのものに自然と集中することなんです。

なので、いざ瞑想します・・・というのは、ヨガを習っていた10年ほど前以来の
かなり久しぶりな感じ。

当時は、短くて30分から1時間、またはそれ以上は座っていましたね。
かなりあやしいスピリチュアル体験もありました。

ただ、それを求めることの危うさに気付いてから、長時間座ることはあえてやめています。
これは、スピリチュアルエゴに即結びつきやすいので。
今の私には、不要なんです。

スピリチュアルは現実生活に生かしてこその、スピリチュアルだと思っています。
私は悟ったから、という高みの見物の愚か者にはなりたくありません。

悟りなんて、もうすでに悟っていますよ、皆さん、という感じでいます。
そんなことに意識を向けて満足を求める暇があるなら、他にやることたくさんあるでしょうと言いたい。

今の私は、座ると言っても、5分から10分くらいでしょうか。
一瞬無になって、還ってくるという感じの軽いものです。

短い瞑想から帰ってくると、私の思考は活発に働きます。

このままいったらどうなるんだろう?
あれ、やってないけど大丈夫かな?

なぁんて、とめどない考えの中にあっという間に埋もれてしまいます。
考えは、どこまで行っても考えなんですよね。

ひらめき型の私にとって、考えはコントロールしたいところです。
考えに埋もれていると、ひらめきのスペースが消えてしまいますから。

さて、わずか数日ですが、いったん立ち止まる時間を持ちました。
正直、少し焦りました。

けれど、動けないものは動けない。
なので、とことん動かずにいてやろうじゃないか、に方向転換。

これがよかったのかどうか、自然な流れに任せたので、
今、こうして動けるようになってきたのです。

私の言う動きとは、言葉が降りてくることや、ひらめきも入ります。
短い充電期間になったと思っています。

唯一、変化し続けることが変わらないことだと、宇宙のことわりとして耳にしたことがあります。
そうなんでしょうね。

立ち止まったままではいられないようになっているのだから、
ならば、腹をくくって立ち止まればいい。

焦りさえも認識しながら、ただそこにいられるようになりたいと、
自分の未熟さを痛感したのでした。

 

 

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