私から私たちへ

ここ数日、静かな私がいます。
淡々と家事をこなし、犬の散歩に行き、個人セッションをし、事務仕事をこなしています。

心はとても穏やか。
私が、そして「私たち」が、これからたどる軌跡を
わくわくしながら、創造しているような感じなのです。

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先日、【伊藤マナ&ヒロさんのクリスタルボールと茶喜利さんのコラボコンサート】と、
翌日、茶喜利さんの個人セッション【マザーノート】を受けてきました。

私の体験したことは、とても個人的であり、同時に普遍的でもあります。
なので、シェアしたい・・・今はまだ、うまく言葉がまとまらない状態ですが、
書けるところまで書いてみます。

【クリスタルボール☆茶喜利コラボコンサート】
事前の打ち合わせはほぼなし。お互いがお互いに共鳴し合い、
調和の中で繰り出され、紡ぎだされる息の合う演奏。

クリスタルボールの高波動に、低次の波動は引き上げられ、
整えられてクリアなエネルギー領域が広がる。

【湯河原リトリートご縁の杜】の意図されたクリアな場所が、さらに相乗効果を生む。

安心してその場に身を置く。時折私の体はリズムを刻む。
ゆるやかに、たおやかに、私の意識が舞うにまかせる。

微細な高波動が体の細胞の隅々まですーっと行きわたる。
音に任せて、響きの中に入る・・・

5年ほど前、まだ感性を開くことへの怖れがあった私は、
高野山で同じクリスタルボールコンサートを聴いたが、
ほとんど思考に牛耳られ、ハートを明け渡すことはなかった。

なぜ感性を開くことへの怖れがあったのか・・・

私は、あるエネルギーワーク受けて、感性を開いて、
そしてまた、閉じるという体験をした。
エネルギーワークの危険性を身を持って知っている。
無防備に信じ込み、受けたエネルギーワークによる痛手は
かなりの歳月をかけて癒された。

そんなプロセスのある私が、ようやく今こうして、
ハートを開いて、感性のままに生きている。

感性で生きる、感性を開くには、エネルギーワークを受けることよりも先に
心理セラピーで心を癒すことが大事だ。
(この場合の癒しはイメージするような柔らかいものでも甘いものでもない。
自分と一時期は向き合うという覚悟のいる癒しである。だが、この一時的に
自分と向き合うという癒しなくしては、自分と一緒にいることはできないし、
本来の自分を生きるところへはたどり着けないと思っている)

順番があると思う。
心の痛みを癒し、思い込みや信じ込みを解放するというプロセスが大切である。

5年前の自分との違いも楽しめたコンサートだった。

【個人セッション】
なつかしい音に導かれるように、肉体はほどけ、微細な粒子となり、
宇宙の深いところまで旅してきました。

至福の中、クンダリー二は上昇と下降をまろやかに繰り返し、
私は私でなくなり、響きあいながら「私たち」と出逢う。

明確な意識状態の中、肉体の感覚は薄れ、喜びと至福しかない状態。
音と「私たち」に共鳴する感覚の世界。「私たち」の中には、私も私として存在している。
漆黒の宇宙の闇の中、いくつかの意識体なのか、創造物が宙を舞う。。。

その「私たち」への入り口が、夫の姓にある。
これから先、私という存在は、心の傷を癒し、思い込みや信じ込みを解放し、
過去を過去においたあと、自分の人生を生きてゆく中で、
今度は、「私たち」という意識を共有しながら、私を生きてゆく段階に入ります。

これは私という個人的な話だけではなく、宇宙の流れとして私たち全体に起きてくること。
決して特別な人だけではないのです。

このブログを読んでいるあなたにも、もれなく起きてくるでしょう。
それが、宇宙の意志でもありますから。

「ワンネス」という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。

それはきっと、心の学びの師匠であり私の敬愛する岡部明美さんが唱える
『多層成熟社会』のことを示しているのだと思います。

内容がとてもスピリチュアルなことなので、書くことを迷いましたが、
今、私が書きたいことは、このことなので自分の思いに素直に従いました。

スピリチュアルは現実に生かしてなんぼ、だと思っています。
うすぼんやりとした、妄想にとらわれないためにも、
地に足をつけて、現実世界に生かしていきたいと思っています。

体験はただ、体験として起こるだけ。
頭で追うのではなく、ハートで感じてみてください。
あなたの中にも、既にエッセンスとして存在している感覚です。

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