執着の奥には得られなかった痛みの体験がある

ずーっとずーっと持ち越している問題や悩みを

手放せないのには理由がある。

執着することで、持ち続けることで

得られなかった痛みの体験と、向き合わずに済むのだ。

向き合えないほどの痛みとは・・・

私は愛されない子どもだ

私は見捨てられた子どもだ

私はいなくていい存在だ

私はいらない子だ

という気持ちを抱いた

自分の中の小さな子どもの存在を認める痛み。

事実、愛されたのかどうか

いらない子だと思われたのかどうか

わからない

それは、親の側の領域だから。

ただ、そう思っちゃった小さな自分の心に

大人になった自分が気づいてあげることが

今できることなんだ。

悲しくて

さみしくて

孤独で

一人ぼっちで

取り残された小さな子どもの

悲しみに寄り添う

さみしさを共に感じる

そう思っちゃったんだよねって。

それができるのは

他の誰でもない大人になった自分だけ。

気づいてもらったら小さな子はどんな顔をするかな?

泣いてもいい

怒ってもいいよって

いっぱい我がまま聞いてあげてね。

それが統合。

そして、そこから執着を手放して

新たな一歩を踏み出せる自分と共に歩くんだ。

手放しは、振り返ったときに

手放していたことに気づくもの。

自分の中には可能性がいっぱい満ちている

未来はいつも手のひらがにぎっている。

 

 

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