幸先の良いスタートという言葉一つにしても観るべきところはある

幸先の良いスタートとはいかなかった、今年の初め

高熱の家族リレーで、寝込んでいた。

昔の私だったら、もうそこで、やっぱりな、とか

どうせ、とか思って、

私の人生は思うようには進まない!などといいながら落ち込んでいたけれど、

今は違う

別の考え方や捉え方ができるようになった。

たとえば、幸先の良いスタートとは、私にとってどういう状態なのかを突き詰めて考えてみる

すると、なんとなくぼんやりしたイメージの中で、勝手にこれは幸先が良いとかよくないとか、

決めていたことに気づく。

そう、ぼんやりとしたイメージがくせものなんだな。

なんとなく、だいたい、そういえば前から、これはこういうもの、など、

あやふやなところから創っているイメージこそ、見直しが大切だと気づかされる。

イメージを既に持っている、というところにも意識的でありたい。

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さて、私にとっての幸先の良いスタートとは?

それは、心の充足感。満たされた感覚。静かな情熱の感じられる状態。

それらを感じて新年を迎えられたこと。

物ではなく、誰かとの関係でもなく、自分の心の状態を一番大切にしている。

自分と仲良く、一番の理解者として、応援者として、許しながら、励ましながら、生きてゆく。

その上で、人様のことのサポートができると思っている。

自分の心を整えることなしに、人様の心のサポートはできない。

そこだけは、かなり自分に正直だ。

取り繕ったり、表面的な付き合いは、もうできないのだ。

だから、自分が自分らしく生きるために、失うこと覚悟で終わらせてきた人間関係もある。

その人達とは、その時点では必要なつながりだったから出会ったのだろう。

だが、お互い変化する中で離れることも流れの一つ。

出会いと別れは繰り返す。

この歳になって、ようやく一人で生きる幸せな感覚も知った。

誰かと一緒にいなくては、恥ずかしいとか、格好悪いとか、みっともないと昔は思い、

ずいぶん無理して周りに合わせてつきあってきた。

自分に自信がなくて弱さを隠すように人の陰に隠れていたのかもしれない。

心理セラピーの学びを通じて、私は精神的な自立を果たしたと思っている。

ここにたどり着けたら、どんな状況でも、誰といてもいなくても、

何をしていてもしていなくても、どっちでも良いと思えるのだ。

状態に対しての執着がなくなる。

勝ち負けとか、人の目を気にするとか、どうでも良いと思える。

自分が大地に足をつけて、しっかり立ってさえいれば、道はいくらでも開ける。

わたし達には、永遠に可能性がある。

自分への信頼、受容、許容、承認を育てることが、幸せに生きるために大切だ。

幸せな一人感覚を得るためにも。

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