40を過ぎたあたりから、大切な友がこの世を去るという経験が増えてきた。
それまでは、いて当たり前の存在で、たまにしか会えなくても、連絡が途切れても
きっと元気でやっているのだろう、くらいにしか気にかけていなかった。
小学校からの付き合いの友人が病気で亡くなったのは3年前。
知らせは共通の友人からの突然の電話だった。
「急にごめんね。実はさ、〇〇〇が亡くなったんだよ」
当時、事務の仕事に就いていて昼休みにかかってきた電話であった。
内心、急に電話がくるなんて、何かあったのかな?
ひょっとしたら、東京に遊びに来ていて会おうっていう連絡かな?
など、一瞬思いを巡らせた。
なんという偶然か翌日からシフトが休みだったので、急遽帰省しお通夜から参列できた。
彼女のふっくらした面影はなく、痩せて小さくなっていたが、きれいにお化粧してもらい
美しく若く見えた。
2つ違いの彼女の兄は少しでも場の空気を和らげようとしたのか
「究極のダイエットだよ」って言って辛口の冗談で皆を笑顔にしようとした。
「子育て落ち着いたら3人で温泉行こうね」って語り合ったのは何年前のことだろう?
あまりに突然のお別れに、しばらく心の整理がつかなかった。
彼女は3年近く闘病していた。しかし、共通の友人には「風邪をひいているから」と
ランチの誘いを断っていたし、私にも何も言わなかった。
ご家族の話では、元気になって会いたいから、病気のことは言わないでおくと言っていたらしい。
絶対に治すんだと最期まで本当によく頑張っていた、という話を聞き、
周りへの配慮とやさしさ、頑張り屋さんなところが彼女らしいな、って思った。
会いたいと思うときにもういないって思っちゃうと悲しくて耐えられなくなる。
だから私は、心の中で語りかけ、心の中で会う。
いないんじゃなくて、心の中に住んでいるんだって、そう思うことにしている。
おどけた顔、しょうもない冗談でよく笑わせようとしていた。
人の痛みや辛さを理解して、細やかな心遣いでたくさん助けられてきた。
もう、あのころには戻れないけど、またいつかの再会を楽しみにしている。
喪失感が私に与えてくれたのは、今という瞬間を大切にしようと心がけることと、
今周りにいる人たちと有意義な時間を過ごそうという気持ち。
伝えたいことは、後回しにしないっていうことも。
心の中に住まう人が増えてゆくのはさみしく、悲しく、辛い。
けれど、いずれ皆が還る場所へ還っていったのだと、一足先に還っていったのだと
そんなやんわりした感じで受け止め、日々を過ごしている。