軽い絶望感

先日、友人と話をしていて、何か新しいことを始めようと思うとき

つい、年齢のことを考えてしまい、足踏みする自分がいるという話を聞いた。

40代も後半になってきて、うっかりすると流されるように日々を過ごしてしまうことへの

軽い絶望感があると・・・

あるあると私も深く同意。

私はカウンセリングの勉強を始めてからプロとして仕事を始めるまでに

7年かかっている。

途中、子育てのいろいろがあって中断したことや、

本当は自分には向いていないのではないか、

できないのではないか、

やってはいけないのではないかと

進んでは立ち止まりを繰り返し、かなり遠回りしてきたからだ。

同じ時期に学んだ仲間たちが華々しく活躍しているのを横目に

ずっと軽い絶望感の中で過ごしてきた。

今思えば、この遠回りがすごく役立っている。

私のように、思うように人生が進まず、

苦しみ、嘆き、絶望さえしてしまう人の痛みに共感できる自分がいるからだ。

人生は後半がおもしろいと、どこかで耳にしたが

”中盤の後半”を迎えるにあたり、つくづく思うのである・・・

何かを始めるのに遅すぎることなんて、なにひとつないことを。

人生何が起きるかわからない

一歩外に出たら、いや、家の中にいても死ぬときは死ぬ。

その瞬間まで、自分がどう生きたかにすべては集約されるのではないか。

やりたいことがあったら、ちょっとでもまず始めてみるといい

動き出したことで見えてくることがある

やってみないとわからないことがたくさんある。

あきらめて今の慣れ親しんだ生活を送ったってかまいやしない

ただ、自分が後悔しないように生きればいいのだから。

けれど・・・と、何かわからぬストッパーを感じるのなら

その原因を探るために、セラピーもよいのではないかと思う。

私自身もセラピーを学びながら、受けながらの中で

観えてきたこと気づいたことがたくさんあり、

今こうして、望んでいたことができる状況にあるからだ。

スタートが遅いとずっと思っていたけれど、それは自分が勝手に作った枠でしかなく、

どんなことも、その人にあったベストタイミングがあることも知ったからだ。

LINEで情報発信中です。お友達登録お待ちしてます。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次