自由な解放感とか
好きなことができてる喜びとか
そんな概念や解釈すらなかった
1000パーセント自分であった子どもの私
毎日ワクワクしながら生きていた自分。
いつからだろう?
人の顔色をうかがって
〇〇されないように
〇〇しないように
気を遣うようになったのは・・・
気が付けば、子どものような無邪気さは消え去り
すっかり大人の顔をして街を歩いている。
自分の中のパワーが出し切れていない感覚があって
友人にセッションしてもらった。
出てきたのは
ワクワクしながら生きるのが当たり前の
1000パーセント自分であった子ども時代の私。
その子を私は切り捨てていた。
ワクワクをただ体験したくて生まれてきたのに
この世で生きるために切り捨てた自分の一部。
この世で生きるためにいらないと誤解して切り離した部分。
ワクワクの中には
ドジでおっちょこちょいで
落ち着きのない私もいるが
好奇心や興味を深堀りする力や
感動や情熱も入っている。
生きる情熱なくして、人生を生きているといえようか?
怒らない、いい人でいたかったわけではないのに
怒らないことがいい、とも思っていなかったのに
いつの間にか怒れなくなった自分をどこかで責めていた。
私はもっと怒りを表現していいと思っていた。
でも、怒ることってそんなにないし、困ったなぁって感じていた。
本来の自分のパワーを取り戻すのに
怒りのパワーが必要だと思っていたが、違った。
怒りのパワーは外に向けてイガイガを放射する感じなのだ。
そうではなくて
内側から込み上げてくるような
湧き上がる感じのほうだ。
本来のパワーを取り戻すのに必要だったのは
切り離したワクワクそのものの純粋な自分を
もう一度統合することだった。
今、
ハートにそのエッセンスとともにある。
私はワクワクパワーを存分に味わう。
込み上げてくる感動や情熱が
ワクワクパワーを教えてくれるだろう。
感動と情熱の源、ワクワクパワーにつながって生きるのだ。