何事もない日々の尊さは、何かあったときに実感するものだなぁ、とつくづく感じます。
母がひざを悪くして、あまりに痛むため、ついに手術をすることになりました。
どこで手術を受けるか、に始まり、あらゆることを相談しながら進めているのですが
遠方に住んでいるため、そばにいてあげられないもどかしさと、
母の気持ちを尊重したいのについつい言い過ぎてしまう、
いつまでたっても至らない娘だと思い、
気持ち的に少し落ち込んでいました。
肝心な時にそばにいてあげられないもどかしさをたどると
またしても、そんな自分を責めていることに行きつくのでした。
母には母の人生がある。
私が今できることをすればいい。
最後はそこに着地しました。
何でこんなになるまで放っておいたんだ!気づかないなんて!
と、自分を責める怒りの心の声の、その奥には、
これからどうなるのだろう?という未来への怖れがありました。
寝たきりになったらどうしよう・・・
あーなったら、こうなったら・・・もう、エンドレスです。
そして、あーしたから、こうしなければ、という過去を悔やむ気持ちもありました。
過去と未来を行ったり来たりで、まったく今にいられない状態というのは、苦しいものです。
苦しいときは、今にいない時、といっていいでしょうね。
心配はするもの。だから悪いことではないけれど、
母の生きる力を、生命力に信頼を寄せたいと思いました。