すごくがんばって
いっぱい努力もしたけれど
ある日、
何もかも嫌になって
もうどうでもよくなって
みんな嫌い
自分も嫌い
世界には敵しかいない・・・
そんな思いを抱いたことはないでしょうか?
そんなときって、
いったい何が起きているのでしょう?
********************************
それは
”承認”を外に求めている、ということなのです。
周りの人に認めてもらいたい(自分が望むように)
すごいねっていってほしい(自分が期待する通りに)
ほめてほしい(自分が思うように)
そんな思いが潜んでいる結果なのです。
しかも、(かっこ)の中のように、
自分が望む形では得られなかったのですよね。
どうせ私なんて・・・
やっぱり私なんか・・・
も、同じことです。
周囲からの評価を、自分の価値判断にしてしまっているのです。
私自身”どうせ、やっぱり”を長い間持ち続け、なかなか手放せませんでした。
****************************
では、どうしたらよいのかというと
自己承認
自己受容
自画自賛!
なのですよ。
私、がんばってきたなぁ~
(誰にも理解されないけれど、私が私をわかっている)
私なりによくやってきたじゃん!
(周りは見てくれていないけど、私は自分のことだからよくわかっている)
私、えらい、えらい!
(気づいてくれる人はいないけど、私は気づいている)
ってね。
自分がどんな言葉がほしくて
どんな言葉だと励まされ
どんな言葉を嬉しく思うかなんて
自分のことは自分にしかわからないですよね。
自分で自分のこと、
ほめて
認めて
はげまして
応援していいのです。
**************************
けれど、頑張りや努力を、
果たして周囲の人は見ていなかったのか?
というと、そうでもなくて
自分の思うような形でなかっただけで、
よく思い出してみると案外ほめられたり、
温かい言葉をかけてくれたりしているものなのです。
自分の思うような形ではなかったので
気づかずにスルーしてしまっていたり
受け取れなかったりしているのかもしれません。
*****************************
周囲に承認を求めてしまうのはなぜでしょうか?
それは、子どもの意識の自分がいるからです。
子どもは、お父さんやお母さん、学校の先生にほめられるとうれしくなります。
大人になった今でも、子どもの意識の自分が
時折、顔をのぞかせて
無意識に求めてしまっているということなのです。
世界には敵しかいないと思った時には
認めてほしくて泣いて怒っている
小さな子どもが心の片隅にいるのです。
そこに気づいたら、
ここからは選択していけるようになります。
大人になった今の私は、
自分の良いところを一番知っている存在です。
外に承認を求めなくても、
自分の望むような言葉を得られなくても
いじけることなく、自分自身でいられるようになります。
大人になった自分から、承認がほしいときは
「ほめて!わたしがんばったんだぁ」と、
周囲の人に求めることだってOKになります。
******************************
そんな自分から世界とどう関わっていくのか?
ここからが成長の見せ所。
世界に対して、自分からどう対峙していくのか?
世界に対して自分の中の愛をどう開いていくのか?
(ここで言う世界とは、周囲の人間関係の中で、
人とどう関わるか、ということを指しています)
世界がどうであろうと
私はこうしていく、という姿勢を持つことです。
意固地になったり、頑固になることではなく
素直な自分でありながら、大人の意識を持った自分で
世界と対峙していくのです。
***************************
周囲の人と、どんな人間関係を築いていきたいですか?
自分からどう関わっていきたい?
自分の中の愛をどう表現してきたい?
世界には敵しかいないと思った時には
そんなことを、魂が問うている時なのかもしれません。