世界には敵しかいないと思った時には自分の愛を確認するとき

すごくがんばって

いっぱい努力もしたけれど

ある日、

何もかも嫌になって

もうどうでもよくなって

みんな嫌い

自分も嫌い

世界には敵しかいない・・・

そんな思いを抱いたことはないでしょうか?

そんなときって、

いったい何が起きているのでしょう?

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それは

”承認”を外に求めている、ということなのです。

周りの人に認めてもらいたい(自分が望むように)

すごいねっていってほしい(自分が期待する通りに)

ほめてほしい(自分が思うように)

そんな思いが潜んでいる結果なのです。

しかも、(かっこ)の中のように、

自分が望む形では得られなかったのですよね。

どうせ私なんて・・・

やっぱり私なんか・・・

も、同じことです。

周囲からの評価を、自分の価値判断にしてしまっているのです。

私自身”どうせ、やっぱり”を長い間持ち続け、なかなか手放せませんでした。

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では、どうしたらよいのかというと

自己承認

自己受容

自画自賛!

なのですよ。

私、がんばってきたなぁ~
(誰にも理解されないけれど、私が私をわかっている)

私なりによくやってきたじゃん!
(周りは見てくれていないけど、私は自分のことだからよくわかっている)

私、えらい、えらい!
(気づいてくれる人はいないけど、私は気づいている)

ってね。

自分がどんな言葉がほしくて

どんな言葉だと励まされ

どんな言葉を嬉しく思うかなんて

自分のことは自分にしかわからないですよね。

自分で自分のこと、

ほめて

認めて

はげまして

応援していいのです。

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けれど、頑張りや努力を、

果たして周囲の人は見ていなかったのか?

というと、そうでもなくて

自分の思うような形でなかっただけで、

よく思い出してみると案外ほめられたり、

温かい言葉をかけてくれたりしているものなのです。

自分の思うような形ではなかったので

気づかずにスルーしてしまっていたり

受け取れなかったりしているのかもしれません。

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周囲に承認を求めてしまうのはなぜでしょうか?

それは、子どもの意識の自分がいるからです。

子どもは、お父さんやお母さん、学校の先生にほめられるとうれしくなります。

大人になった今でも、子どもの意識の自分が

時折、顔をのぞかせて

無意識に求めてしまっているということなのです。

世界には敵しかいないと思った時には

認めてほしくて泣いて怒っている

小さな子どもが心の片隅にいるのです。

そこに気づいたら、

ここからは選択していけるようになります。

大人になった今の私は、

自分の良いところを一番知っている存在です。

外に承認を求めなくても、

自分の望むような言葉を得られなくても

いじけることなく、自分自身でいられるようになります。

大人になった自分から、承認がほしいときは

「ほめて!わたしがんばったんだぁ」と、

周囲の人に求めることだってOKになります。

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そんな自分から世界とどう関わっていくのか?

ここからが成長の見せ所。

世界に対して、自分からどう対峙していくのか?

世界に対して自分の中の愛をどう開いていくのか?

(ここで言う世界とは、周囲の人間関係の中で、
人とどう関わるか、ということを指しています)

世界がどうであろうと

私はこうしていく、という姿勢を持つことです。

意固地になったり、頑固になることではなく

素直な自分でありながら、大人の意識を持った自分で

世界と対峙していくのです。

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周囲の人と、どんな人間関係を築いていきたいですか?

自分からどう関わっていきたい?

自分の中の愛をどう表現してきたい?

世界には敵しかいないと思った時には

そんなことを、魂が問うている時なのかもしれません。

 

 

 

 

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