なんにしても、自分対〇〇なのです

8月最初の投稿です。

暦の上では立秋が過ぎましたが、夏バテなどしていませんか?

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過去に終わったはずの問題が再び浮上してくるとき、

何が起こっているのでしょうか?

それは、もう一度、見直す時期がきた、ということです。

つまり、現時点での自分の考えや、意図したことや、

信念や覚悟を見直す時期がきたということなのです。

なぜそうなのか?

なぜなら、人は変化を通じて成長・進化する生き物だからです。

自分自身がステージアップするときに起きてくる場合が多いです。

更に、誰かとの関係性まるごとステージアップするときに

起きてくる場合もあります。

今までうまくいっていたことがうまくいかなくなった、

それまで平気だったのに、なんとなく関係性がギクシャクしてきた、などがそれです。

どちらにしても観なければならないのは

『自分 対 相手』

『自分 対 〇〇』

です。

*夫が自分の両親のことを悪く言う、という場合、

『夫 対 自分の両親』 ではなく

『夫 対 自分』と、

『自分 対 自分の両親』という構図になります。

*義母が子育てに口をはさむ、という場合、

『義母 対 子ども』 ではなく

『義母 対 自分』と、

『自分 対 子ども』という構図になります。

なんにしても、どれにしても

対峙するのは、いつも

『自分 対 〇〇』

なのです。

対立ではなく、対峙です。

どちらが正しい、間違っているではなく

じっと見合うのです。

仏教でいうところの、正観するのです。

そこからしか観えてこないものがあります。

なぜなら、『自分 対 世界』で成り立っているから。

それは、自分の観かたが変われば

世界は違って見えてくるということでもあります。

そもそも、何のために生きているのか

人生とは何のためにあるのか

そこへの問いかけにつながります。

魂からの問いかけといってもいいでしょう。

起きてくる事象をどうとらえるのか

静かなまなざしを育んでいきたいものです。

 

 

 

 

 

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