今年の春はあっという間に桜が咲いて
あっという間に散ってしまったような感じがしています。
どんな春を過ごされていますか?
私は相変わらず、花粉症の症状が例年にないくらい重く、
薬を飲みながら、症状が落ち着くのを待っています。
昨年までは、薬を飲むほどに辛い症状が出なかったので
尚のこと、今年は辛く感じています。
もう、花粉症は治った!くらいに思っていたのですから。
体が思うように動かないのは、本当につらいですし、
しんどいときも予定をこなさなければならない時は
自分をだましだまし、時に歯を食いしばり
何とかやり遂げ、予定をこなしている感じです。
がんばるときがあってもいい、と思いながら・・・
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さて、今回も人間関係のあれこれについて話します。
先日、公共施設で仕事をしたのですが、そこの待合室で子どもたちの会話が聞こえてきました。
左側は小学生の男女が4,5人いて、カードゲームで遊んでいました。
右側はダンスの練習の休憩中の中学生の女の子が2人いました。
左側の小学生のところに、男の子が一人やってきて
「あいつ、むかつく。ドッジボールで当ててみろーっていいやがった」
と話したのですが、カード遊びに夢中の彼らの反応は薄く「ふーん」で終わりでした。
相手にされなかったその子は、つまらなそうに立ち去っていきました。
一方中学生の女の子2人の会話です。
「AさんとB君は入学前から付き合っていたんだってさ」
「C子はそれ、知らなかったからショックだったみたいだよ」
「かわいそうだけど、仕方ないよ」
いわゆる「恋バナ」です。
ここでお伝えしたいのは、どちらも人間関係の話だなぁ、ということです。
年齢に関係なく、私たちはいつも人との関わり合いの中で生きているのですよね。
そんな中で、どんな人間関係を作っていきたいのか考えることは
どんな自分を生きていきたいのかに通じるくらい、大切だと思うのです。
愚痴や不平不満、陰口を言い合うだけの関係でいいのでしょうか?
たまにはそういう話をしてストレスを発散するのもいいでしょう。
けれど、それだけではもったいないと思うのです。
創造の観点から観ても、いのちの在り方、意味合いからしても
私たちはそんなことだけのために生まれてきたのではないと思いませんか?
愚痴や不平不満、陰口だけを言うのが本当の自分ではないと
気づくことが大切だと思うのです。
あなたの中の神聖な部分、美しいと思う心、感動して涙する自分もいるはずです。
そちらの自分、スピリチュアルな言い方をすると
高次の自分、こちらに意識を合わせていくということが
本来の自分を生きるのに大切だと思うのです。
選択権は、自分にあります。
人は皆、いろんな面を持っています。
それらのどの自分を表現していきたいのか
もし、相手に対して不平不満、陰口を言いたくなったら
言いたい自分は傷ついているのだ、ということに気づいてあげましょう。
そして、相手の幸せを願う。
これが高次の自分の選択だと思うのです。
本来の自分を生きるために、
あなたは、どちらの自分を選択しますか?