愛する人、大切な人を亡くした時、
もう二度と会えないと思うと、行き場のない気持ちになって苦しくなります。
私の場合、7月に旅立った母がいます。
『母はもういない』
『母はいる』
どちらに意識を置くかで見える世界が全く変わります。
『母はもういないと』思うと、
ギューッと胸が締め付けられるような苦しさに襲われることがあります。
もうあの声を聴けない、話ができない、笑い声、笑顔、怒った顔、悲しんでいる顔、
手のぬくもり、触れ合い・・・できない、ない、に気持ちが向いてしまいます。
どこまでも悲しみは広がり、心の学びの何が役に立つのだろう?と
考え込んでしまうこともあります。
反対に『母はいる』とすると、
ハートに母を感じます。
思い出の中に母がいて、笑顔があって、笑い声があって、つまらないことでケンカした時があって、
料理を教えてもらったり、近所に人のうわさ話に興じたり、
カラオケも行ったし、温泉にもいった。
転勤先に来ては、いろんなところを旅行した。
『母はいる』としただけなのに、なぜだか心は温かくなり、
楽しい思い出がよみがえってきます。
ほんのちょっと、意識の転換をするだけで、こんなにも違う。
どこに意識を置くか、どう設定するか、何を選ぶか、私たち次第なんですよね。
この地球は2元性の星。
白か黒か、正しいか間違いか、良いか悪いか、あるかないか・・・
母の体はここにはないけど、母の存在感がハートにある。
そして私は、どちらを味わうかも選べる。
そう思うとね、寂しいけれど、大丈夫って思えるのです。
やみくもに感情に巻き込まれるのではなく、そんなときもあっていいのだけど、
選べる、というところに立ってみるのも豊かに生きるヒントになるのではないでしょうか。
いずれは誰もがこの星から旅立ちます。
悲しい時があってもいい、寂しい時があってもいい、自分の時間を生き切ろうって私は思っています。