誰かのことをジャッジしてしまうとき、大概その人の一側面を見て判断しています。
それはすなわち、自分の一側面しか見ていないことでもあります。
嫌いな部分、カチンとくる部分、許せないと思う部分、自分とは合わないなという部分、
私は絶対そんなことしないっていう部分、むかつく部分、悲しくなる部分、傷つく部分、
さみしくなる部分、むなしくなる部分、嫉妬する部分、うらやましく思う部分、
憎みたくなる部分、見下す部分、ばかにする部分、軽蔑する部分、怒りが収まらない部分・・・
それも相手の中にあるほんの一部なのです。
あなたの中にも一部としてあるように。
私の中にも一部としてあります。
大切なのは、あるっていうことに気付いていること。
見逃すことなく、認識していること。
つまり、無意識の部分をどれだけ明るみにするか。
ここに気付いていないと、自分では意識していないところで
何気なく発した言葉で、人を傷つけてしまっていたということが起きたりします。
ないふり、気づかないふりは、一番恐ろしい。
私には何も問題ないっていうときほど、ご注意を。
いい人のふりをしていると、いい人のふりをしている顔になっていきます。
でも、目はごまかせないのです。
エネルギーはどこか詰まっているように感じます。
どんなに穏やかで包み込むような、やさしい雰囲気の人を演出していても、
または、そのつもりがなくても、どこかでボロが出ちゃいます。
出る方がその人のためには良いことなんですが。。。
心理系のセラピストは、ここの部分、
特に自分の中にある「心の闇」をいかに見据えたか、にかかっています。
自分の中の乗り越えてきたこと、見据えてきたこと、向き合ってきたことが
人に寄り添える力となってくれるのです。
自戒を込めて。