何か新しいことを始めようとするときに対人関係において起こるであろう
恐れの中身について考えてみました。
恐れの中にあるものは、ストーリーばかり。
どう観られるか
どう思われるか
どう受け取られるか
何か言われるのではないか・・・
もしかしたら、嫉妬、妬み、誤解、心無い言葉、誹謗中傷、などによって傷つけられるかもしれない。
うらやましいなぁ~って羨望のまなざしを向けられるかもしれない。
それは、相手の態度、言動、まなざしから、伝わってくるもの。
でも、よーく考えてみると・・・
良くも悪くもどちらにしろ、相手の領域で起きていること。
しかも、まだ何も起きていないのに勝手に想像して恐れているだけだったりすることが
ほとんどではないでしょうか?
もし、そのような態度、言動、まなざしを向けてくる人に出くわしたら、
そのような態度、言動、まなざしを向けてくる人の奥にある
その人の抱えている、痛み、悲しみ、さみしさ、むなしさ、絶望、喪失感、耐えられない辛さ
などをおもんばかる想像力がこちらにあるといいなぁと思う。
そういう態度、言動、まなざしを人に向けることでしか、自分を守るすべを知らないのかもしれない。
同情ではなく、その人の存在への尊重を、ちょっとした想像力から持てるのなら、
こんな素敵なことはない。
嫌な思いはするし、傷つくだろう。
けれど、受け取る受け取らないの選択は、こちらにある。
心にスペースを持てる状態でいれば、反応することもない。
痛みに対して開くか、閉じるか、選択するのは自分の領域でできること。
恐れとは、他人軸の中にしかなく、
許しとは、統合のことを言うのだと思う。
新しいことを始めようとする時、自分へのOKも、GOも、
この恐れの分厚い雲の向こうに、あるのだろう。